Illustratrice japonaise basée à Paris.

モンブラン

2016年07月9日

モンブランに登りたいと思う、と彼から初めて聞いたのはいつだったろう。結婚を決めた去年の秋頃だっただろうか。当初、モンブランとエベレストの違いもよく知らなかった私は、なんでそんな危険なことしたいの?!と取り乱したが、人生でやっておきたいことの一つなんだ、と言われてしまい、う、と言葉に詰まった。やりたいことを制限される、ということを、何より自分が嫌っているから、人に対してもそれをしたくはないのだ。

 

その後、モンブラン登頂が果たしてどれくらい危険なのか、情報収集してみると、西ヨーロッパ最高峰を誇る高さの割には、そこまでの難易度ではないと分かり、少し落ち着きを取り戻した。
やはり知らないから、妄想が膨らんで恐ろしくなるのだ。一足飛びに最悪の事態を想定してしまう。私が海外に行く度、両親がとにかくあれこれ心配することを、困ったものだと思っていたけれど、今回自分がその立場に立って初めて、本当にその心境をきちんと理解出来た気がする。私が海外に行って、もし何か起きたとしても、自分で選んで行くのだから仕方がない、運は天に任せる、というようなことをよく言っていたが、安否を気遣う人に対しては、無神経な物言いだったと今は思う。その最悪の事態が起こらないよう願っている人に対して、起きたとしても仕方がないとは、突き放すような冷たさがある。
しかし最終的には、自分の運と危機管理能力を信じて待っていてもらうほかなく、旅の途中でも出来るだけ連絡を取るようにすることくらいしか、出来ることはなかった。

 

モンブランの麓の街に滞在した5日間、彼は数回トレーニングの為に出かけて行き、居ない間は久しぶりに一人旅をしているような妙な気分で、それならそれと観光を楽しめば良いのだけれど、つい目の前に聳え立つモンブランに気を取られてしまい、何事もなく楽しんでるかなぁ、どこら辺歩いてるのかなぁ、と、そればかり考えていた。特に登頂を目指して出発した日の朝から、次の日の午後までは全く連絡が取れなかった為、「ネットワークが無いだけで、万が一にも何かあれば、ガイドを通じてホテルに連絡が来るはず」と、何度も自分に言い聞かせながら、長い時間を過ごした。

 

無事登頂を果たし戻って来た彼は、予想以上に疲労困憊しており、動きも普段の三倍くらい遅かった。二三日はグランパ(おじいちゃん)、と呼んで茶化していたが、怪我もせず帰ってきてくれて本当に良かった。
一日かそこら離れていただけなのに、再会の喜びがこんなに大きいなんて、夫婦も時々離れることが必要なのかもしれない。まぁ、今回は少し特殊な例ではあるけれど。本当はいつでも、何が起こるかわからない日常を過ごしているはずなのだ。その人を失う可能性を少しでも考えてみると、どれだけその存在が自分の中に根付いているか、よく分かる。